萱浜(かいはま)は南相馬市原町区の海沿いの部落で被災以前は緑豊かな部落だったが、津波によってほぼ全てが呑み込まれ景色が一変。何もかもが無くなってしまった。
この部落で大規模農業を営んでいた八津尾初夫さんも例にもれず家の他、ビニールハウスの全てを失い丹精込めた農地も荒れ果てた姿に変わってしまった。
しかし原発騒動が未だ収まらない中、八津尾さんは早くも農業の復興に取り組んでいる。4月には畑の塩害調査としてジャガイモと大根を植え、近いうちには水田の塩害調査として田植えをする予定である。
そんな八津尾さんの描く未来の萱浜の村は、生産・加工・販売を一手に担う経営的農業を確立して若者でも農業で暮らせるようにし、緑豊かな土地で子供たちが育つ村である。また海沿いにレストラン建て、海と松林を眺めながら地元で育った作物を提供する案に想いを馳せる。
順調に復興に邁進しているように見える八津尾さんだが、実は津波により最愛の妻、一子さんを失っている。初夫さんと一子さんは結婚以来、常に新しい農業について話し合い、経営的農業の確立を目指して共に歩んできた。何事にも情熱を傾けていた一子さんの想いを実現させるため、一子さんを失ってもなお、八津尾さんは前に進むことを決意した。
今回の被災で八津尾さんがつくづく感じたことは、地域の和の重みだと言う。被災以前は新年会や花見など何かにつけて地域の方々と行動を共にしていたが、被災して声を掛け合ったり協力してくれるのもまた彼らだった。そんな地域の和が八津尾さんの誇りであり、将来は被災以前よりも素晴らしい萱浜の村を作り上げ、そこで子供たちが育って欲しいと願っている。
ここまでお話を伺って、私は自分の眼が節穴だったことに気付いた。私は淡々と、しかし誠実に対応してくださる八津尾さんを純粋な方だと思っていた。しかし、それは良い意味で違った。ただ単に純粋なだけでなく、悲しみ全てを受け入れた上で、それでも惑うことなく静かに、しかし力強く前に向かっていたのだ。まさに不惑の姿とでも言うべきか。
八津尾さんの当面の目標は萱浜の地を向日葵の花で埋め尽くすことだそうだ。なんでも作付け面積一位は北海道のとある町の21.5ヘクタールなので、まずはそれ以上にしたいとのこと。今夏一面に咲き誇る向日葵を見るのを私は今から楽しみにしている。でも、表面の美しさにだけ惑わされて本質を見落とすことだけはしないよう、気をつけていこうと思う。
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