一人の女性に馬への愛情も写真の経験も圧倒され、逆に心地良かった。
その人はNPO法人「馬とあゆむSOMA」でボランティアをしている中野美夏さん。このNPO法人は震災以前、相馬市を中心に障がい者のためのホスセラピーを行なっていたが、被災後の今、被災馬の救出、保護に奔走している。
出身も育ちも川崎市。しかし父親が川崎競馬の元騎手・調教師だった関係で幼い頃から日常的に馬と接していた中野さんにとって、馬は「家族であり、師匠でもある」と言う。父の実家が南相馬市鹿島区だったため、相馬野馬追祭の際はほぼ毎年帰省し、18歳までは馬に乗って行列にも参加していたという。中野さんは父の死後の3年ほど前、鹿島区に家族と共に移り住むことを決意。馬場も併設された海沿いの新築の家に2頭の馬を飼育して暮らしていた。そこに襲ってきた今回の津波。被災して家も愛馬も失ってもなお、「馬がいるから頑張ろう」と思え、生き残った馬の世話を続けている。
実は私は子供の時から馬を見るのが好きで、中学の卒業文集では将来の夢を「馬の牧場経営」と記し、大学時代は休みの度に馬小屋に籠っては馬の世話をしホースラバーを自称していたが、中野さんの馬への想いにはとうてい及ばず、勝手に負けを痛感していた。
二度目にお話をした時、密かにリベンジを窺っていた。そこで話がちょうど写真の方へと流れていった。聞けば中野さんは幼い頃からカメラを持ち歩いて写真を撮っていたという。野馬追や馬の写真も撮っていたが、カメラの機能には無頓着でオートモードで撮っていたようだ。名誉挽回のチャンスと勇み、写真家として活動していることをいいことに、「今度教えましょうか?」などと軽口を叩いてしまった。謙虚な中野さんはやさしく笑って受け流されたが、馬を撮った写真が何枚か残っているということで早速見せてもらうと、ポストカードにされた写真が眩く輝いていた。朝日を背景に浜を走る馬を撮影した写真なのだけれど、馬を愛し、地元の波と光を熟知し、長年の写真の経験が滲み出た傑作だった。ここに至り、馬を撮ることに関しては経験も圧倒されたと認めざるを得ず、まさに完膚なきまでに叩きのまされ気分だった。しかし不思議と、それは心地良かった。
馬と生き、生かされ、馬に教え、学んできた中野さんの人生。これからも中野さんは誇りとする馬と共に歩んで行くのだろう。
私はと言えば。とりあえず馬の写真を撮っていると気軽に口外するのはやめにしようと思う。少なくとも馬関係者の前では。
★中野さんの馬の写真はこちら→「馬とあゆむSOMAのブログ」
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