2011/05/20

見返りは、求めない

屋内退避指示が解除されても、依然多くの避難者が身を寄せあっていた南相馬市の原町第一小学校。この小学校の入口でバイク好きでもない私が、バイクを見て目を見張った。しかもカブに。

そのバイクはホンダのスーパーカブ50。新聞配達で大活躍している、アレだ。燃費が良く、故障も少ないので、発展途上国でも重宝されている。
そのカブをさり気なく大改造したのが時田昌夫さんだ。この「さり気なく」がポイントで、これはあくまでも個人的な感想だけれども、バイクを改造すると大抵が「品」がなくなる。けど、時田さんは塗装だけに30万、その他を含めると総額40万ほどの大改造をしても見かけは少ししか変わっておらず、シュールさすら醸し出す傑作となっている。時田さんはこのカブを「恋人のようなもの」と言って憚らない。

カブを愛する時田さんは、人の頼みをNOと言えない人情も持ち合わせている。時田さんは原発20キロ圏内の南相馬市小高区出身で、原発が爆発した3月13日に原町区に避難したが、この避難先でこれから遠方に避難する知人3人から小高区内のイヌ・ネコ計25匹の餌やりを頼まれた、危険を承知で17日に小高区に舞い戻った。
戻った小高区では電気が辛うじて来ていただけで、水道・ガスは止まっていた。そこで時田さんは愛車のカブを走らせ、水は山で井戸水を汲んで確保し、食料は隣町の原町区まで買い出しに行き、主にカップラーメンで食いつないだ。この頃時田さんは原発の恐怖に怯え、行政からは見捨てられ、警察・自衛隊からは逃げるように暮らし、四面楚歌状態だった。
だがこの生活も長くは続かず、20キロ圏内が警戒区域に指定された4月22日に終わりを迎えてしまい、荷物をまとめて愛車のカブで原町区へと避難した。

彼の行動は、端から見ると少々愚直だったかもしれない。だが、見返りを求めず為した彼の行動に、私は美しさすら感じる。ちょうど、時田さんが愛車のカブを愛し、このカブで近くの峠や海岸沿いを走って楽しんでいたように。だが今やその峠は放射能で汚染されて立ち入ることはできず、海岸沿いは津波によって景色が完全に変わってしまった。
時田さんが誇りとするカブで、愛して止まない故郷を元の姿で走ることのできる日は来るのだろうか?


0 件のコメント:

コメントを投稿