2011/04/29

逆境にあっても謙虚で素直な心を持ち合わせる姿

大津波が全てを飲み尽くし、見渡す限り「何もない」風景をずいぶん彷徨った後、津波到達最深部の部落、渋佐に入った。ほとんどの家は後片もないか面影を多少留めている程度で、壊滅的な被害を受けていた。

その中でただ一軒、構えをしっかり残している家があり、そこで片付けをしている数人を見かけた。
何か気になってその中の一人に声をかけた。
話を聞けば、岡田順子さんは、避難先の仙台から被災後二週間で南相馬に戻り、現在は親戚の家に身を寄せながら毎日ここに片付けに通ってると言う。家は腰の高さまで浸水したため、汚泥の除去と家の中に散乱した荷物出しが最優先の作業となっていた。
岡田さんは最初に家を見た時、申し訳ないと思ったと言う。何故なら。
「近所で家を失った人に申し訳なくて」
と。
しかし岡田さんは、近所の人々の次のような声を聞いて嬉しく思ったと言う。
「気にするな。一緒に頑張ろう。また一緒にみんなで住もう」。
そしてまた岡田さんは、手伝いをしに駆けつけてくれた親戚が、中には遠く神奈川県の横須賀からもいたことにも嬉々としていた。
そんな岡田さんの誇りは「人の温かさや絆」である。

それを聞いて、私が声をかける前に気になった理由が分かった。岡田さんが片付けていた姿に、古き良き日本人の姿を見たからだ。その姿とは、逆境にあっても謙虚で素直な心を持ち合わせる姿である。

今日の一枚はそんな彼女を真ん中に、彼女の家族・親戚とで片付け後に撮った家の前での写真。

2011/04/27

牛飼いとしての誇り

被災の生々しさを伝える崩れかけの土蔵の牛舎を横目に、南相馬原町区馬場の牛飼い、瀧澤さん宅のインターホンを押し、来訪を告げる。出迎えてくれたのは、今は息子さんに経営を任せている徳雄さん、70才。薪ストーブがある客間に通してもらってお話を伺うが、長年絶え間なく続けてきた重労働を物語る厳つい表情と、高齢者特有の激しい訛りのせいで多少尻込みしてしまう。現地で知り合った人を交えて何とか会話を続ける中、放射能の影響で搾った原乳は全て廃棄していることを知らされる。
牛舎に案内してもらうと一転、瀧澤さんが持つ柔の面が浮かび上がってきた。50頭弱いる乳牛を見遣る眼差しは優しく、口調もどこと無く柔らかくなった気がした。そして愛牛を撫でながら言った。
「ベコ(牛)は家族の一員。人間のために尽くしてくれたベコを見殺しにはできねぇ」
そう、瀧澤さんの牛舎は原発から30km圏内の緊急時避難準備区域に入っているため、いつ避難指示が出されるやもしれないのである。
そこで私は先程、瀧澤さんと交わした会話を思い出した。
「父の代より一頭の牛から規模を大きくしていったからこそ、牛飼いとしての誇りがある。」
地震も原発も、この人の信念を変えることはできないのだと感嘆し、瀧澤さんに礼を言って牛舎を辞した。



2011/04/25

「わたしの誇り」

「あなたの誇りとは何ですか?」

私はいま、被災者にこのように尋ねまわって撮影している。

東北沿岸部を襲った巨大地震・津波の被害をメディアを通じて見て、私は写真家として何ができるか、日本人として何ができるかを己に問い続けた。しかし圧倒的な被害を前に答えを見出せず、悶々とした日々をいたずらに過ごしていた。

答えを出せずとも独り、東北の過去・現在・未来に思いを巡らせていた。
辺境としての東北。米の供給地としての、労働力の供給地としての、ひいては電力の供給地としての東北。中央から搾取され続け、壊滅的被害を被った後もまた、同様の構図の復興が叫ばれている東北。

そんなある日、テレビから私の眼に一つの映像が飛び込んできた。

『東北人魂』

サッカーのチャリティーマッチでの入場の際に被災地である大船渡市出身の小笠原満男選手がT-シャツに刻み込んでいた言葉である。彼の無言でありつつも気高いその佇まいを見て、私が抱いていた東北人の姿と重なった。
東北人の姿。それは苦難に耐え忍び、黙々と日々の営みを続ける姿。

壊滅的な被害を受けてなお、屈することなく復興という出口が見えない戦いに無言で挑んでいくその魂を記録することが、私が写真家としてできる唯一のことだと思い、このプロジェクトを始めることにした。
そして私は相馬・南相馬両市に向かった。この地域は旧相馬藩領で、野馬追祭りを通じて市を越えて伝統や風習が人々に色濃く受け継がれ、土地に根付いている。加えてこの地域は原発事故を受けて警戒区域、緊急時避難準備区域、計画的避難地域、そして区域外と分断されている。
彼らが長きにわたって紡いできた伝統や風習が危機に瀕している今こそ、彼ら、彼女らの無言の声に耳を傾け、記録したいと、記録するべきだと思った。

被災者が抱える闇は私の想像を絶するものだと思う。
願わくば、深い暗闇に迷い込んだ際に、被災してもなお誇り高く屹立している写真の中の己の姿を見て、東北の大地に生き、生かされてきた自分を思い返してもらい、一筋の光としてもらえたらと思う。
そしてより多くの人々に、彼ら、彼女らの姿に思いを巡らせてもらえたら幸せに思う。

2011年4月24日記

高橋かつお