2012/07/24

背負い人

小さい頃から僕は、ゲーム『信長の野望』シリーズをこよなく愛し数々の大名になりきって全国統一を果たしてきたが、相馬氏とは全くの無縁だった。小大名ゆえの困難さに加え、伊達氏、北条氏、上杉氏等近隣諸国の有力大名に囲まれている地理的難しさがあったからだ。そんな僕はゲームを通り越して末裔の方とお会いする機会を得た。その人は生きている時間の流れが一般人の僕とは驚くほど違っていた。
その人とは旧相馬藩の相馬家の三十四代当主、相馬行胤さん。初めてお会いしたのは昨年の卯月、中村神社にて。その頃相馬さんは相馬市での物資の配給に奔走していた。当時のお姿は無論、甲冑や袴を身に纏っていたわけではなく至って普通の市民の出で立ち。相馬家の当主の面影はなく最初拍子抜けしたのだが、お話を伺うと、旧藩領のこと、野馬追のことを熱く、それは熱く語って下さった。
市民が困難な時に手を差し伸べるのは当たりまえ、この震災を機に念願の楢葉より先の領土を手に入れようという冗談を織り交ぜ、野馬追開催に関しては野馬追とは「市民を守るため」に長年開催されてきたものであり、この危機的状況のなかで尚更開催しなければならないものなのだ、数百年以上続く野馬追の歴史の中でもこれまで幾度の危機があったが中止になったことは一度たりともなかった、今回の震災は天保の大飢饉の時と比類するほどの危機だが天保の時も執り行ったのだから今年も必ずや、と熱く熱く語られた。相馬さんのこの、身を置いている時間のスパンの長いこと長いこと! それを当然の如くお話なさるものだから、僕は「はぁー」としか言えない始末。尚もエンジン全開の相馬さんは「野馬追は神様と自分がいれば一人でもできる」と言い切られた。実際は家臣の武将達と地域住民の協力無しには成り立たないことは重々承知だったろうが、その時期に敢えて総大将が積極的に口にすることにより、皆を引っ張っていこうとする強い気概が感じられた。
そんな相馬さんに僕は恐る恐る、相馬さんの誇りは何ですかと尋ねてみた。少し間を置いてから、「自分とは相馬そのものであり、相馬家の歴史が私の誇りである」と堂々と返答された。そのお答えを聞いて僕は一瞬意味が分からなかった。僕にとって歴史とは学校で学んだり本を自分で漁って掘り探るものであって、背負うものではなかったからだ。
野馬追の期間中、相馬さんは相馬家の総大将の貫禄を存分に示してお祭りを執り行った。そこには僕が初めてお会いした時の印象とは雲泥の差の相馬さんがいらっしゃった。恐らくあの貫禄は一朝一夕で身につくものではなく、やはり長年続く相馬家の歴史を一身に背負ってきているが故の賜物だろう。
そしてこの写真は、野馬追最終日に多珂神社で執り行われた野馬懸の直後、参道出口で撮影したもの。大震災年の野馬追を終え相馬家の歴史に新たな一ページを加えた安堵感と、連日連夜行われたであろう宴の疲労感が程よく滲み出ていて、これもまた違った大将の側面ではなかろうか。
そして僕は思った。次回『信長の野望』をやるときは相馬氏でやってみよう、と。相馬の地で触れた歴史を多少なりでも感じられることを願いつつ。