2011/07/18

中心

僕は自分が何かの中心にいたことなんてなければ、中心にいたいとなんて恐れ多くて考えたことすらない。中心にいる方が傲慢であろうと思っていたが、僕が出会った相馬の中心にいる人物は意外や意外、その中心にいることの責務を黙々とこなし、喜びを噛み締めていた。

震災の混乱が未だに続いていた3月下旬、僕が相馬は中村神社に初めて訪れたとき、所狭しと置かれた救援物資の隙間をぬって電話の応対、支援の指示と実行、はたまた社務を忙しなくこなしていた女性がいた。その女性とは中村神社で禰宜さんをしている田代麻紗美さんだ。

中村神社は一千余年の歴史をほこり、1611年に旧相馬藩主が小高からこの地に城を移してから現在の姿となっている。中村神社では相馬藩の神事である野馬追を代々執り行なってきた。
田代さんは震災以前は禰宜さんとして社務をこなす傍ら、地元の方々に乗馬を通じてホースセラピーを行なっていた。野馬追の行列にも幼い頃から参加し、5年前からは中村神社の禰宜さんとして参加している。
だが震災を境に状況は一変。馬の救出、飼料の配布を始め、地元の方々に救援物資を配るなどボランティア活動がメインとなった。それでも社務はあるわけで、忙しい合間を縫って祈祷やお祓いを執り行なっている。

正直、僕はボランティア活動に奔走している田代さんしか見たことがなかった。その活動自体は素晴らしいものだし、その活動をしている田代さんのお姿も輝いていたのだけれど、その姿を写真に収めようとは思えなかった。なんと言うか、田代さんの奥底に眠る神秘性のようなものが引き出せないと思ったからだ。
そんな訳で撮影をお願いすることもないまま時が徒に過ぎ去っていったが、東北地方が梅雨入りして間もないころ、祈祷が執り行なわれる日に中村神社にお邪魔した。もちろん、祈祷を捧げる田代さんは禰宜さんの出で立ち。東洋の神秘がほどばしる姿を見て思った、やはり禰宜さんは禰宜さんモードになったときに初めてその神秘性を表に出すのだな、と。境内で祈祷が終わった後に、しっかり撮影させて頂いた。

そんな田代麻紗美さんの誇りは「相馬の中心に居れること」だそうだ。野馬追や観光名所として中村神社は相馬で「シンボリックな場所」であり、その中村神社で禰宜として関われることを幸せに思うのだそうだ。田代さんは震災以前から相馬に特別な思いを感じていた。都会とは異なり相馬は海と山が近くにあり、その素晴らしい環境で生まれ育ったこともあり愛着があると言う。

その相馬の野馬追は今週末に開催される。震災と原発の影響があって例年より規模を縮小しての開催となるが、中村神社での総大将出陣式ならびに市内での行列は予定通り実施されるようだ。田代さんも禰宜さんとして参加されるとのこと。その乗馬での出で立ちにも注目したい。


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