福島県の南相馬を中心とした相双地域の人々の魂を記録して回っているが、或る時、日本人の魂が宿っているモノがある、と言われた。そのモノは甲冑。おっしゃった人は甲冑師の阿部光男さん。甲冑師を生業としている人は全国でも5人程しかいないのだが、その1人が阿部さんだ。数人しかいないのにも関わらず、甲冑師名鑑があると言われハテナと思ったが見て納得。名鑑の中のお人は鎌倉やら安土桃山やら江戸の文字のオンパレードで、その中に昭和・平成の職人さんとして阿部さんのお名前も載っていた。この大胆な名鑑の発刊にびっくりしたことはさておき、武士の歴史はそのまま甲冑の歴史であることを目の当たりにしてひどく驚いた。
阿部さん曰く、甲冑は神秘性、機能性、美術性の3点を兼ね備えていると言う。機能性・美術性は見た目でなんとなく分かるが、神秘性だけは謎だったのでお尋ねしたところ、例えば兜の鉢の頂上部分は八幡座と呼ばれ、神が宿るものと考えられていると言う。そしてこれらの甲冑を作る技術は現代の技術をはるかに超えており、中には復元不能なものもあるという。
甲冑に関して素人だった阿部さんは、この技術を習得するのに15年以上もかかった。きっかけは野馬追祭りに出場する際に借り物ではなく自前の甲冑が欲しかったから。型取りをして自力で作ろうとしたがオモチャのような代物かできず、それがきっかけになって甲冑の修復を志した。古代の技術を習得する度にその技術を自分の甲冑に応用し、古代のモノを修復できる喜びに味をしめ、気づけば鎌倉の甲冑師の先生の元へ月に一度、15年以上も通い続けていた。
甲冑師としての魅力は古代のモノを修復する醍醐味と、オーダーメイドで製作・補修した際に型がお客さんにピッタリとハマって喜んでくれることだという。
阿部さんはそんな自身が手で覚えた技術を誇りとし、日本で生まれたこの技術を伝えたいし、ここ相馬では伝えなければならないと言う。なぜなら、甲冑師なくして甲冑の修理は不可能で、野馬追祭りが成り立たないからだ。
その技術の結晶である甲冑を眼の前にすると迫力満点で、今にも武士がこちらに立ち向かってくるかのような錯覚に陥った。まさに日本人の魂が宿っていた。武士が実際に着用していたからというのも一つの理由だろうが、昔の人が手作りで、職人としての魂を注入していたからこそ、日本人の魂が感じられるのだと一人で納得していた。
技術が日々進歩していると言われているが、それはあくまで科学技術に限っただけで、技術全体が進歩している訳ではない。それどころか原子力という人智を超えたパンドラの箱を開け、それを暴発させてしまった人々がいる。
かたや先人の技術の高さに畏敬の念を抱きつつ、古代の技術を脈々と受け継ぎ、その技術を誇りとする現代の甲冑師。
どちらの姿が正しいのかは火を見るより明らかだろう。
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