震災直後、まだ僕が東京で何をすべきか悶々としていた頃、早くから救援活動を組織した人がいた。そしてその人達が僕に「近い人」だったのが嬉しかった。
その人は大土`雅宏(おおどまさひろ)さん。南相馬市鹿島区出身で自身も被災者。震災以前は相馬で服屋や、仙台でヒップホップアーティストのマネージャーをしており、震災当日は青森で物産展の手伝いに行っていたため、直接の被災は免れた。停電の最中携帯で集められる限りの情報を集め、自分が何をすべきかを考えた。そこで「ヒップホップは自分たちだけのものではない」と思い直し、救援活動に奔走することを決意。BOND & JUSTICE(絆と正義)という団体を結成し、今までの人脈を最大限に駆使してネットワークを構築、被災地に救援物資を運び込んだ。震災直後原発の影響で陸の孤島となっていた南相馬にも市長に直接掛けあって、一週間以内には物資を送り届けていた。以後も福島のみならず宮城・岩手の被災地にも物資を送り届け、その量は4月上旬までに100トンにも上る。
僕は大土`さんの活動を早い段階からツイッターで知っていた。自分もヒップホップが好きで、普通に歩いていてもお巡りさんに呼び止められてご質問を受けるので、大土`さんがヒップホップ周辺の人を集め、自分ができない被災地の救援をやっているのがなんだか嬉しく思ったのを覚えている。しかも大土`さんが僕の仲間の知人であったので、これはもう写真を撮らせてもらわない訳にはいかないと思い、オファーを出した。
僕が初めて大土`さんにお会いしたのは、大土`さんが南相馬市役所に罹災証明書を取りにきた4月下旬のこと。多くの人が出入りする中、一目見て同じ匂いを感じ取り気がついた。イカツイ人を想像していたけれど、意外と大人びた感じの人だった。話しぶりも理路整然としており、自分のこと、活動のこと、地元のこと、原発のことを分かりやすく話してくれた。
しかし普段の大土`さんは違う。どちらかと言えば、と言うか完全におちゃらけている人、良い意味で。色んなことを笑いに転換して周囲を和ませ、自分も楽しんでいる。この爆発的な笑いのエネルギーと鬱積した憂いが同居しているからこそ、過酷な被災地での活動を可能にしているのだろう。
そんな大土`さんの誇りは「自分の生き方」。ポリシーしかり、人間関係しかり、経験しかり、自分が歩んできた生き方がこの活動をさせている。BOND & JUSTICE の活動は「自分というフィルターを通して表現」できているし、偽善からではなく自然に始めたものと言う。
この「生き方」を象徴する写真として、各地を走り回ったBOND & JUSTICE号の前でお仲間と共に大土`さんを撮影させていただいた。撮影の初めはお二方とも真面目に立っていたが長続きするはずもなく、しっかりおちゃらけてくれた。写真の手前が大土`さんで奥がRYOさん。
BOND & JUSTICE のHPはこちら → 東北関東大震災支援隊本部 BOND & JUSTICE
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