幸せな関係を、相馬の港町で見た。
その幸せな関係は相馬市のみなと保育園にて育まれている。みなと保育園は松川浦から目と鼻の先にあり、距離にすると100メートル足らず。幸いちょっとした高台にあるため保育園は津波の被害を免れた。海が近いからか懸案の放射線量も、毎日行なっている独自検査によると比較的安定している。
この保育園で働く佐藤あずみ先生は、幼い頃はみなと保育園に通っていた。家は保育園から数百メートルの場所にあり、まさに地元っ子。あずみ先生は小学校に上がってしばらくした頃には「保育士さんになりたい」と子供ながら思い描いていた。この思いは高校生なっても変わらず、高校卒業後は宮城県の短大まで自宅から通い、卒業してからはストレートでみなと保育園に戻ってきた。
保育士さんを志した理由は、あずみ先生曰く「子供が好きだから」。長年描いてきたお仕事は大変だがやりがいを感じていると言う。
実は私はこの保育園を訪れる前にあづみ先生と3回お会いしている。初めてお会いしたのは、あづみ先生が友達と仙台に車で行く際にたまたま乗り合わせた時で、あまり喋る機会もなかった。2回目は以前ブログで紹介した相馬のバー『101』にふらっと寄った時。この時あづみ先生は女友達と楽しく飲んでいて、図々しく混ざって楽しめば良いものを、シャイな僕は短い挨拶を交わした後、独りカウンターでチビチビ酒を呷っていた。3回目は僕が相馬の駅前のラーメン屋さんに行った時。あづみ先生はご家族で夕食中で、この時も短い挨拶を交わしただけだった。お会いした3回とも「こんど写真を撮らせて下さいね」と軽くはお願いしていたが、実現はしなかった。
ところがふとしたきっかけみなと保育園に行く機会ができ、そこで撮影は実現した。働いているあずみ先生はザ・保育士さんとでも言うべきか、とにかく明るく元気。それもそのはず、みなと保育園の雰囲気全体が明るく元気なのだ。子供は港町なため男の子も女の子もやんちゃ者が多く、都会の親なら吃驚するような豪快な遊びをする。撮影時も腕を掴まれるわ、気づいたら背中に子供が乗っかって来ているわ、と、何かと体力を使わせてもらった。
年間、いろいろなイベントを企画してるみなと保育園。たとえば、野馬追祭の前には、子供たちに武士の恰好をさせるミニ野馬追を企画、その際園長先生は自らダースベイダー調の武士に扮して音頭を取った。そうした園長先生のおおらかな気風がそのまま保育士さんに反映されている。
地元の明るく元気な保育園で育ち、大人になって明るく元気な保育士さんとして働き、明るく元気な子供を育てる。ありふれた話かもしれないが、人々の生活を根こそぎ奪う原発事故の後も、脈々と続いているこの幸せなループが僕には愛おしい。
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