江戸っ子は「義理と人情と痩せ我慢」というが、相馬にも相馬の人情があった。
佐藤浩美さんは夫の浩治さんと相馬市で上下水道の設備会社を営んでいる。夫は生粋の相馬人だが奥さんの浩美さんは原発20キロ圏内の南相馬市小高区出身。この地域の女性はとても保守的で、「男性の一歩後ろを歩く」感じで、初対面の人ともあまり話さない。だが浩美さんはまるで異星から来たかのように初対面の僕に話しかけてくれ、自然と浩美さんへのインタビューに変わっていた。
浩美さんは相馬で旦那さんと仕事をするにあたって、相馬の独特な人間関係に馴染むのに時間がかかったという。なんでも相馬藩の城下町だった相馬市民はプライドが高く、よそ者を受け入れない気風だそうだ。仕事に関しても近隣の原町の人は相馬に支店を出すが、相馬の人はほとんど原町に支店を出さないと言う。客は取りに行くものではなく、来るものだという考えなのだという。この気風は佐藤さんの会社にもあり、「値段が高い安い言うお客さんは相手にしない。ウチはアフターケアがウリなんです」と言った。
営業先で女性であるだけで浩美さんは蔑まれ、さらに小高区出身であることが分かると下から舐めるように見られたものだと言う。東京でしばらく仕事をしたことのある浩美さんにとってこの経験には困惑したそうだ。だが浩美さんは決して諦めず、必死に相馬のコミュニティに入る努力を続けた。そして数年が経過した後、お客さんを紹介してもらったりと優しくしてもらえることも多くなり、晴れて相馬コミュニティに入れてもらえたという。人情を基にしたコミュニティ内の付き合いは煩わしい時もないわけではない。しかしそれ以上に、コミュニティ内の居心地が良く、今ではコミュニティ内の人情が彼女の誇りにすらなっている。
面白いことに、いまや相馬の人情が染み付いた浩美さんは、たまに東京の雑踏に混じると「落ち着く」と言う。曰く、「何も考えないで付いて歩けば良いから」。東京の育ちの私には東京の雑踏が息抜きとは驚愕だったが、それは古いタイプのコミュニティの本質を示唆しているような気がした。
そんな浩美さんの切実な願いは「普通の暮らしがしたい」ということ。
原発が爆発した後すぐ、佐藤夫妻は千葉県の親類の所へ身を寄せた。だが首都圏の人々が日常を日常として過ごしていることと故郷との温度差に違和感を感じ、「残っている人々が苦労しているのにこんなことをしている場合でない」とすぐに故郷に舞い戻った。
そうして今、原発事故から4ヶ月以上が経過しても未だに「普通の暮らし」は戻っていない。小高区の親類は未だに故郷に帰ることが叶わず、お客さんも完全には戻ってきていない。
写真撮影は生粋の相馬人の旦那さんと、相馬の人情に触れることがお仕事の事務所で行なった。この時代に珍しく大きなダルマさんを前にして。ダルマが8つ置いてあるのは「『七転び八起き』の精神なのだ」と笑って言った。
「『七転八倒』になりませんように」など戯れ言を言い合いながら、僕はシャッターを押した。
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